いつもの時間の貴さ2022年01月14日 20:47

 旅行、コンサート、友達との会食、美術館、博物館などで過ごす時間は、日常から離れた特別な時間だ。
 しかし、最近はそれらのイベントとイベントの間のいわゆる普通の時間の中にも貴重な時間があると感じることが以前よりも多くなった。年を重ねたせいだろうか。そうならば年をとるのも悪いことばかりではない。

 たとえば、冬の晴れた日に外を歩いているとき、腕時計やスマホや足下を見るのではなく、いつもより少し視線を上げると、澄んだやわらかな青いキャンバスに筆でサッとなでたような薄い白い雲が浮かんでいる天空に出会える。そんな時、なぜか少し幸せな気持ちになる。

 公園の池にいる白鳥がスーッと水の上を滑るように近づいてきて、真綿のような純白のふわふわの羽をパタパタと広げながら方向を変えて泳いでいく様を愛おしく感じながら見つめる。

 晩秋、散りたての落ち葉が広がる道を歩くのは楽しい。落ち葉の形やその色鮮やかなグラデーションは二つとして同じものはない。一枚の葉の中に、舞妓さんの紅のような朱から、夕暮れ時の西の空の茜色、そして、たわわに実った稲穂のような黄金色まである。虫に喰われたギザギザの小さな穴も個性的なチャーミングポイントだ。葉を落とす落葉樹は、さながら色彩豊かな美しい絵を生み出す立派な画家だ。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック