秋の音 ― 2020年11月02日 11:26
年を重ねるにつれ、季節の移り変わりに新鮮な発見と喜びを感じるようになった。それは、誰もが嫌でも見聞きする破壊的な強風が吹き荒れる嵐のようなフォルテシモではなく、黄色く色づいた一枚の葉が梢から離れてはらりと空中を舞っていくようなピアニシモの時もある。
秋晴れの澄み渡った青い空に赤く染まった紅葉や大きな落葉樹の樹々の黄葉した葉がそよ風にやさしく揺れている様子を見ているのはなんとも心地よい。
子供の頃、ピアノを習っていた。親の意向で習わされていたわけではなく、私自身ピアノを弾くのが好きだった。でも、振り返って今思うと、あの頃の(強弱記号の)p(ピアノ)はただ「小さく」で、f(フォルテ)は「強く、大きく」だけだった。
最近、また時おり鍵盤に触れる機会があると、一音一音がこんなにも色々な表情をもっていたのかと驚かされている。
p(ピアノ)には、優しさもあるけれど悲しみや切なさもあり、子供たちの楽しい内緒話もあり、恋人たちの甘いささやきもあり、老人が静かに幸せな昔の日々を回想する時間もあるかもしれない。
f(フォルテ)は、激情にかられた暗い怒りや情念を表すこともできるし、逆に全身がはじけてしまいそうなほどの喜びと満面の笑顔、勇気や希望を伝えることもできる。
耳をすませば、今日はどんな秋の音色が聞こえてくるだろうか。
秋晴れの澄み渡った青い空に赤く染まった紅葉や大きな落葉樹の樹々の黄葉した葉がそよ風にやさしく揺れている様子を見ているのはなんとも心地よい。
子供の頃、ピアノを習っていた。親の意向で習わされていたわけではなく、私自身ピアノを弾くのが好きだった。でも、振り返って今思うと、あの頃の(強弱記号の)p(ピアノ)はただ「小さく」で、f(フォルテ)は「強く、大きく」だけだった。
最近、また時おり鍵盤に触れる機会があると、一音一音がこんなにも色々な表情をもっていたのかと驚かされている。
p(ピアノ)には、優しさもあるけれど悲しみや切なさもあり、子供たちの楽しい内緒話もあり、恋人たちの甘いささやきもあり、老人が静かに幸せな昔の日々を回想する時間もあるかもしれない。
f(フォルテ)は、激情にかられた暗い怒りや情念を表すこともできるし、逆に全身がはじけてしまいそうなほどの喜びと満面の笑顔、勇気や希望を伝えることもできる。
耳をすませば、今日はどんな秋の音色が聞こえてくるだろうか。
ムーミン谷の十一月 ― 2020年11月28日 19:40
昨今、ムーミン展やムーミン関連グッズを販売するイベント等をよく見かける。ムーミンと言えば、以前は子供の頃にテレビで見たアニメの印象から可愛らしいキャラクターと楽しいお話というイメージを持っていた。しかし、社会人になってから原作のトーベ・ヤンソンの小説を読んでみると、その印象ががらりと変わった。やさしい表現の中にもそこかしこに含蓄のある彼女の人生観が散りばめられていて、あたかも哲学書のような感じさえうけた。
中でも「ムーミン谷の十一月」は、ムーミン一家が最後まで登場せずに、いつもの脇役たちが主役となるちょっと不思議な物語で、歳を重ねてから読むにつれより魅力を増している一巻である。
人は何か嬉しいことがあったときや悲しいことがあったときや退屈なとき、誰かに話しかけたくなるものである。あるいは、取るに足らないような日々の些細な出来事でも誰かと共有したくなる瞬間がある。逆に、あれこれ世話をやかれたり、ルールの中にはめ込まれたりするのを煩わしく感じて一人になりたいと思ったりすることもある。
この小説の主人公たちも同じである。彼らはムーミン一家に会いたくて、話を聞いてもらいたくて、一緒にコーヒーを飲みながらゆったりした時間を過ごしたくてムーミン谷のムーミン一家の家にやって来るのである。しかし、一家は不在で、スナフキン、ホムサ、フィリフヨンカ、ヘムレンさん、ミムラねえさん、スクルッタおじさんらの予期しない共同生活が始まるのである。
季節は、陽が日に日に短くなり、日差しが弱くなり、霧が濃くなって、雨がしとしと降る秋である。
彼らは性格も生活様式もまったく異なっている。しかし、各人の心の中にはムーミン一家に対する何かほっこりした温かな共通のイメージをもっている。そんな彼らの共同生活の日々が淡々と描かれる。そこにはムーミン一家は登場しないけれど、自然に溶け込んだ彼らのゆったりした生活様式やムーミンママのおおらかで包み込むような優しさやムーミン一家が放つ日常の中の幸せ感が常にただよっている。
そして、本格的な厳しい冬を迎える前に、ある者は我が家への帰路につき、ある者は旅立ち、また別のある者はムーミン一家の帰りを待ってそこにとどまることを決意するのである。誰もがそこに来る前よりも少し成長して、心穏やかに、晴れやかな気持ちになって。
中でも「ムーミン谷の十一月」は、ムーミン一家が最後まで登場せずに、いつもの脇役たちが主役となるちょっと不思議な物語で、歳を重ねてから読むにつれより魅力を増している一巻である。
人は何か嬉しいことがあったときや悲しいことがあったときや退屈なとき、誰かに話しかけたくなるものである。あるいは、取るに足らないような日々の些細な出来事でも誰かと共有したくなる瞬間がある。逆に、あれこれ世話をやかれたり、ルールの中にはめ込まれたりするのを煩わしく感じて一人になりたいと思ったりすることもある。
この小説の主人公たちも同じである。彼らはムーミン一家に会いたくて、話を聞いてもらいたくて、一緒にコーヒーを飲みながらゆったりした時間を過ごしたくてムーミン谷のムーミン一家の家にやって来るのである。しかし、一家は不在で、スナフキン、ホムサ、フィリフヨンカ、ヘムレンさん、ミムラねえさん、スクルッタおじさんらの予期しない共同生活が始まるのである。
季節は、陽が日に日に短くなり、日差しが弱くなり、霧が濃くなって、雨がしとしと降る秋である。
彼らは性格も生活様式もまったく異なっている。しかし、各人の心の中にはムーミン一家に対する何かほっこりした温かな共通のイメージをもっている。そんな彼らの共同生活の日々が淡々と描かれる。そこにはムーミン一家は登場しないけれど、自然に溶け込んだ彼らのゆったりした生活様式やムーミンママのおおらかで包み込むような優しさやムーミン一家が放つ日常の中の幸せ感が常にただよっている。
そして、本格的な厳しい冬を迎える前に、ある者は我が家への帰路につき、ある者は旅立ち、また別のある者はムーミン一家の帰りを待ってそこにとどまることを決意するのである。誰もがそこに来る前よりも少し成長して、心穏やかに、晴れやかな気持ちになって。
最近のコメント