神々の島 パフォス ― 2021年03月14日 11:12

地中海に浮かぶ島の中では、2番目の大きさのキプロス。ベイルートから飛行機で、約30分でキプロスのラルナカ国際空港に着く。光の中に降り立ったような7月の強烈な陽射し。もともと降水量の少ない所であるが、特に夏は極端に雨が少なく、水分を失った大地や石灰岩の岩肌は、光を受けて白くまぶしい。
島の南側の海岸沿いの通りを西に向けて車で走っていくと、左手に青緑色の地中海が広がる。ビーチには、豊かな肉体をわずかばかりの水着に包んで夏の陽射しと午後のゆるやかな時間の流れを楽しんでいるリゾート客の姿が目につく。

このエメラルドのグリーンとサファイアのブルーをミックスしたような、透明感をたたえた明るい海の色を見ていると、この海岸から愛と美の女神アフロディーテ誕生の神話が生まれたのもうなずける。ギリシャ神話最初の王ウラノスとその息子クロノスが対立し、クロノスがウラノスの男根を切り落とし大海原に投げ入れたところ、白い泡がわきたちその中からアフロディーテが誕生したと言われている。やがて西風ゼフィロスに運ばれキプロス南西にある小島に漂着したという。
アフロディーテは愛と美の女神として名高いが、神話の中では、女神ヘラが自らの窮地を逃れるために醜男の鍛冶の神ヘパイストスの要求を受け入れ、その結婚を取り決めたという。その後も、美しい彼女は他の神々からも愛され、彼女には何人もの恋人がいた。その中には、フェニキア王の息子の美少年アドニスもいた。しかし、彼は嫉妬にかられた戦いの神アレスの怒りをかい、殺されてしまう。嘆き悲しむアフロディーテの思いが、彼の血を深紅のアネモネの花に変えたとか。

アフロディーテ誕生伝説のあるこの海岸は、キプロスの南西に位置するパフォスという町にある。ここは紀元前2世紀には約500年にわたってキプロスの首都として栄えた地である。また、その地名の由来がアフロディーテとつながっている。キプロス王ピグマリオンが自ら彫刻した美しい女性像にアフロディーテが命を吹き込み、その女性ガラティアと王との間に生まれた子供が「パポス」と名付けられたそうだ。海岸沿いの道路からもよく見える3つの小さな島がある。中でも2つ目の島がアフロディーテ誕生の地と言われている。
海岸からほど近い高台にアフロディーテ神殿がある。紀元前12世紀頃に建てられ広大な敷地を有しているが、今はほとんどその跡をとどめていない。

写真
ディオニソスの館(紀元前3世紀頃)のモザイク画。モチーフはギリシャ神話のダフニス(中央)とアポロン(右)。エロスのいたずらで、アポロンはダフニスに恋するが、ダフニスは拒絶して月桂樹になってしまう。
トスカーナの青い空4 ― 2021年03月07日 12:12

フィレンツェの街の中心は、なんといっても花の聖母寺(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)である。建築家ブルネッレスキによって造られたその巨大なクーポラ(天蓋)は、どこにいても一目でわかる。何百段もある狭い石の螺旋階段を、時々壁に張り付くようにして人とすれ違いながら登っていくと、クーポラの上部にあるテラスに出る。息苦しいような暗い空間を登り続けてきた体に外の風が心地よい。椀を伏せたような形の頂上部分は思いのほか狭く、登ってきた人でいっぱいだ。とりあえず一周する。足下は、滑り台のようにゆるやかな曲線を描いて空中に伸びている。クーポラの縁の向こうには、クーポラの赤煉瓦と同じ色の屋根がびっしりと重なりあって広がっている。その焼菓子のような赤褐色のブロックの間を溝のように走っているのは、中世の頃から変わらぬ石畳の通りである。

ひときわ高い黒い石の塔は、ヴェッキオ宮のアルノルフォの塔だ。先端に横向きのライオンがついている。その向こうにはアルノ川が静かに流れている。対岸の緑の多い部分は恋人たちの憩うミケランジェロ広場、手前の小高い丘は、ピッティ宮のあるボーボリ庭園である。

ドゥオモの外壁は白、ピンク、緑の石で美しく装飾され、まるでリボンでラッピングされた高価なプレゼントか、社交界にデビューしたての初々しい少女の春をイメージしたドレス姿のようだ。

ことに夕方、西日がドゥオモの側面を斜めから照らしたとき、ドゥオモ全体が淡い黄金の光に包まれて、見る者に時を忘れさせる。ジョットの鐘楼の長い影が、細い路地の間に伸びていく。丸いクーポラを見上げると、一羽の鳩が視界を横切って行った。雲一つない明るい青い空が、だんだんと深い青に変わっていく。気がつくと、石畳の上の塔の影は夜の闇に飲み込まれ、街灯に灯りがともっていた。街灯の下でかたく抱きあって熱いキスを交わしている二人のシルエットが、まるでマイセン焼きの陶器の人形か何かのように少しの動きもなく、静かに石畳の上に永遠の時を刻んでいた。 (終)

トスカーナの青い空3 ― 2021年02月20日 09:35

だが絶頂を極めたフィレンツェも時代の流れには逆らえず、衰退の道をたどり始める。現状に不安を覚え、何かを求めていた人々の前にフェッラーラ出身のドメニコ派の修道僧ジロラモ・サヴォナローラが現れた。彼はサン・マルコ修道院の院長になり、漠然とした不安と不満をかかえた人々をその熱弁で煽動していった。フィレンツェの人々は、その異常なまでに禁欲的で、贅沢を廃する考え方、神の怒りをかった享楽的なフィレンツェ市民は滅びていくだろうという終末思想に共鳴していった。昨日まで美しいといわれていたギリシャ風の豊かな胸の女性の絵が、退廃的だと攻撃され、一昨年にお祭りに着た衣装が華美で贅沢だといわれ、市民の間で正義の名の下に略奪が行われた。
ことはだんだんエスカレートし、サヴォナローラに心酔している少年少女たちが集団で家々に足を運び、優雅な曲線の美しい燭台やプラトンの革装丁の本、女性の豊満な身体をおおらかに表現した数々の名画を没収し、シニョリーア広場で燃やした。うずたかく積み上げられた貴重な品々が、天にも届くような真っ赤な炎を上げ、一瞬のうちに灰になった。

しかし、やがて彼のことを快く思っていなかったフランシスコ会や、少しの妥協も許さぬ彼の極端な考え方に疑問を持ち始めた市民たちによってサヴォナローラは捕らえられ、シニョリーア広場で公開のもとに火刑に処せられた。
今は観光客でにぎわっているこの広場は、実はこんな暗い血なまぐさい過去をもっている。足下の石畳には、あの時の血がしみこんでいるかもしれない。歴史は、いつも一瞬の栄光の影に、数えきれないほどの陰謀と裏切りを秘めている。

トスカーナの青い空2 ― 2021年02月11日 10:11

庭園を出て坂道を右手に下ると、両側に昔ながらの貴金属店がぎっしり並んだ古い橋ポンテ・ヴェッキオに出る。ウインドウの中でイリスの花をかたどったフィレンツェ市の紋章を細工した繊細な金のブレスレットが光っている。ウインドウの下の部分には、中世の頃を思わせる鎧戸がわりの鉄の鋲を打ち込んだ厚い木の板がぶらさがっている。

ふと橋を渡る人混みの方に目をやると、メディチ家礼拝堂で見たミケランジェロの造ったロレンツォの像によく似た鼻筋の通った若者と一瞬目があった。私は、急いで後を追った。しかし、たちまち人の波に飲まれてしまった。石畳の細い路地を盲滅法歩いて行くうちに旧市庁舎ヴェッキオ宮のあるシニョリーア広場に出た。

この広場はフィレンツェの長い激動の歴史を黙って見守ってきた。ヴェッキオ宮はルネッサンス時代の代表的建築物で、1階には窓はなく、厚い石の壁はまるで要塞のようである。上部は歩廊が大きく外に張り出し、その下には紋章がはめ込まれている。メディチ家の全盛時代を築いた老コジモ(1389~1464)が生きていた頃のフィレンツェはその名のとおり華やかで、町は潤い、数々の建築物が建てられ、教会のフレスコ画をはじめ美しい絵が次々と描かれた。

老コジモの息子ピエロ(1416~1469)は病気がちで、「通風病みのピエロ」とも呼ばれていたようだが、その時代は短かった。その次の老コジモの孫に当たるロレンツォ(1449~1492)の時代になると、フランスやオランダなどヨーロッパに手広く店を出していたメディチ銀行が多額の負債を出し、次々と店じまいに追いこまれた。また、法王との関係、ミラノ公国との関係など不安の材料はつきなかった。そんな中でも、フィレンツェの町の人々は美しいものを求め、工房は賑わい、フィリッポ・リッピ、サンドロ・ボッティチェルリなど後世に残るすばらしい芸術家を生み出した。彼らの絵画を納めたウフィッツィ美術館は時を超えた宝石箱である。

トスカーナの青い空1 ― 2021年02月06日 23:30

5月のよく晴れたトスカーナの青い空の下、緑の山々に囲まれて、赤煉瓦のフィレンツェの町並みが広がる。アルノ川をはさんで南側の小高い丘の上に立つピッティ宮に隣接するボーボリ庭園は、街中の賑わいが嘘のように静かで、ゆったりした時間が流れている。昼下がりの明るい陽ざしの中で、大きなマロニエの樹が眩しいくらいにキラキラと輝いている。ぎっしりとある葉がわずかな風に揺れ、淡い緑と濃い緑のモザイク模様を作り出す。マロニエのいくつもの小さな白い花が一つの塊になって葡萄の房のように揺れている。ユダの樹が濃いピンクの花を枝いっぱいにつけている。


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