トスカーナの青い空1 ― 2021年02月06日 23:30
5月のよく晴れたトスカーナの青い空の下、緑の山々に囲まれて、赤煉瓦のフィレンツェの町並みが広がる。アルノ川をはさんで南側の小高い丘の上に立つピッティ宮に隣接するボーボリ庭園は、街中の賑わいが嘘のように静かで、ゆったりした時間が流れている。昼下がりの明るい陽ざしの中で、大きなマロニエの樹が眩しいくらいにキラキラと輝いている。ぎっしりとある葉がわずかな風に揺れ、淡い緑と濃い緑のモザイク模様を作り出す。マロニエのいくつもの小さな白い花が一つの塊になって葡萄の房のように揺れている。ユダの樹が濃いピンクの花を枝いっぱいにつけている。
トスカーナの青い空2 ― 2021年02月11日 10:11
庭園を出て坂道を右手に下ると、両側に昔ながらの貴金属店がぎっしり並んだ古い橋ポンテ・ヴェッキオに出る。ウインドウの中でイリスの花をかたどったフィレンツェ市の紋章を細工した繊細な金のブレスレットが光っている。ウインドウの下の部分には、中世の頃を思わせる鎧戸がわりの鉄の鋲を打ち込んだ厚い木の板がぶらさがっている。
ふと橋を渡る人混みの方に目をやると、メディチ家礼拝堂で見たミケランジェロの造ったロレンツォの像によく似た鼻筋の通った若者と一瞬目があった。私は、急いで後を追った。しかし、たちまち人の波に飲まれてしまった。石畳の細い路地を盲滅法歩いて行くうちに旧市庁舎ヴェッキオ宮のあるシニョリーア広場に出た。
この広場はフィレンツェの長い激動の歴史を黙って見守ってきた。ヴェッキオ宮はルネッサンス時代の代表的建築物で、1階には窓はなく、厚い石の壁はまるで要塞のようである。上部は歩廊が大きく外に張り出し、その下には紋章がはめ込まれている。メディチ家の全盛時代を築いた老コジモ(1389~1464)が生きていた頃のフィレンツェはその名のとおり華やかで、町は潤い、数々の建築物が建てられ、教会のフレスコ画をはじめ美しい絵が次々と描かれた。
老コジモの息子ピエロ(1416~1469)は病気がちで、「通風病みのピエロ」とも呼ばれていたようだが、その時代は短かった。その次の老コジモの孫に当たるロレンツォ(1449~1492)の時代になると、フランスやオランダなどヨーロッパに手広く店を出していたメディチ銀行が多額の負債を出し、次々と店じまいに追いこまれた。また、法王との関係、ミラノ公国との関係など不安の材料はつきなかった。そんな中でも、フィレンツェの町の人々は美しいものを求め、工房は賑わい、フィリッポ・リッピ、サンドロ・ボッティチェルリなど後世に残るすばらしい芸術家を生み出した。彼らの絵画を納めたウフィッツィ美術館は時を超えた宝石箱である。
トスカーナの青い空3 ― 2021年02月20日 09:35
だが絶頂を極めたフィレンツェも時代の流れには逆らえず、衰退の道をたどり始める。現状に不安を覚え、何かを求めていた人々の前にフェッラーラ出身のドメニコ派の修道僧ジロラモ・サヴォナローラが現れた。彼はサン・マルコ修道院の院長になり、漠然とした不安と不満をかかえた人々をその熱弁で煽動していった。フィレンツェの人々は、その異常なまでに禁欲的で、贅沢を廃する考え方、神の怒りをかった享楽的なフィレンツェ市民は滅びていくだろうという終末思想に共鳴していった。昨日まで美しいといわれていたギリシャ風の豊かな胸の女性の絵が、退廃的だと攻撃され、一昨年にお祭りに着た衣装が華美で贅沢だといわれ、市民の間で正義の名の下に略奪が行われた。
ことはだんだんエスカレートし、サヴォナローラに心酔している少年少女たちが集団で家々に足を運び、優雅な曲線の美しい燭台やプラトンの革装丁の本、女性の豊満な身体をおおらかに表現した数々の名画を没収し、シニョリーア広場で燃やした。うずたかく積み上げられた貴重な品々が、天にも届くような真っ赤な炎を上げ、一瞬のうちに灰になった。
しかし、やがて彼のことを快く思っていなかったフランシスコ会や、少しの妥協も許さぬ彼の極端な考え方に疑問を持ち始めた市民たちによってサヴォナローラは捕らえられ、シニョリーア広場で公開のもとに火刑に処せられた。
今は観光客でにぎわっているこの広場は、実はこんな暗い血なまぐさい過去をもっている。足下の石畳には、あの時の血がしみこんでいるかもしれない。歴史は、いつも一瞬の栄光の影に、数えきれないほどの陰謀と裏切りを秘めている。
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