大岡越前 音楽 山下毅雄 ― 2019年10月06日 18:28
メインテーマのメロディーがアレンジされた挿入曲は、「えっ、これが時代劇?」と思うような体が踊りだしたくなりそうなラテン風の曲調があったり、ジャズ風であったり、パーカッションだけをバックにヴァイオリンのソロがしっとりと歌い上げたり、チターの演奏があったり、使用されている楽器も小編成で、それぞれの楽器の音色の美しさが最大限に表現されている。また、澄んだ女性のスキャットの歌声も、ドラマ同様温かく耳に心地よい。約30年にわたって大岡越前を演じた名優加藤剛氏も今や鬼籍に入られた。音楽と共に懐かしい映像が思い出される。
30年も続いたドラマなのでその間にはレギュラー陣も入れ替わったりしているが、このドラマの変わらない魅力は、見終わった後に温かな気持ちになる人情味あるストーリーとまさに大岡忠相その人!と思わせる加藤剛氏の名演技、人の心の琴線に触れる山下氏の音楽にあると私は思っている。
霧の情景 テオ・アンゲロプロス ― 2019年09月16日 22:53
彼の作品は長回しでセリフの少ない映像が特徴的だが(「旅芸人の記録」は232分にも及ぶ)、いずれの作品も重いテーマを抱えながらもその静かに流れていく時間の映像がとても美しい。特に「シテール島への船出」や「エレニの旅」など霧のシーンの映像の美しさはこの上なく、その一瞬一瞬をプリントして額にでも飾っておきたいようである。
ギリシャといえばこの映画を見るまでは観光パンフレットなどになっている真っ白い壁の家々と真っ青な空と海が明るい陽射しのもとに輝いている「陽」のイメージしかなかったが、大抵の物事には陽があれば陰があるように、彼の映画を見てギリシャの陰の部分、暗く重い部分を知ったような気がする。
彼の作品の多くの音楽を担当したギリシャ人のエレーニ・カレンドルーの音楽もまた素晴らしい。特に「霧の中の風景」のオーボエが主旋律を奏でる挿入曲は、なんとも美しくも切なく印象的だ。霧の情景と共に、一人の人間の努力ではどうすることもできない人生の悲哀が見えない霧となってヒタヒタと押しよせてくるようだ。
真田丸 三浦文彰 ― 2019年03月05日 23:12
ヴァイオリンの重音の音色が力強く躍動的に生き生きと響き渡る。低音部の深みのある重厚感から後半の高音部の胸に染み入るような美しいメロディと演奏。
世界最難関とも言われるハノーファー国際ヴァイオリンコンクールの2009年の史上最年少優勝者(当時16歳)の三浦文彰さんのヴァイオリン演奏による2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」のメインテーマだ。
服部隆之氏作曲のオーケストラをバックにした単音のメロディラインも弦楽器特有の流れるような艶のある美しい響きをもっているが、私はこの曲に関しては、特に三浦さんが演奏する重音のハーモニーが生み出す世界がドラマチックで印象的であり、素晴らしいイマジネーションの源泉であると感じている。時にそれは、平原を馬で疾走する武者を創り出し、また別のある時には人生の岐路にたった一人の男が生死をかけた重大な決断をするときの心情をも表現している。
ドラマ「真田丸」は、その名のとおり戦国時代の真田一族の真田信繁(幸村)を中心に描いた作品である。真田家は関ヶ原の合戦で兄弟が東軍と西軍に分かれて戦い、敗北した西軍側で戦った弟の信繁(幸村)は後の大坂夏の陣で命を落とすことになるが、兄の真田信之の子孫が今も長野市松代町の地で地域と密接に結びついた暮らしをされているようだ。松代は、1622年に幕府より転封を命じられて真田家が藩主として移り住んだ土地であるが、もともと真田家は今の長野県上田市に信繁(幸村)の父である真田昌幸が、1583年に天然の地形を生かした難攻不落の上田城を築城し、ここを拠点としていた。当時の建物は残念ながらほとんど現存していないが、かつて千曲川の分流があった尼ヶ淵に面する弓なりの見事な曲線を描いた石垣は今でも見上げることができる。(西櫓は、真田氏の後に入った仙石氏が1626から1628年にかけて建てた江戸時代から現存している唯一の建物)また、東虎口櫓門は1994年に復元されたものだが、往時を偲ばせる。
シェルタリング・スカイ ポール・ボウルズ ― 2019年03月03日 17:06
ラピスラズリのような澄んだ夜空に浮かぶ半月刀のような三日月の光の下、らくだの隊商の列が音もなく黙々と一列になって進んで行く。
時おり、らくだが足を運ぶときに砂を踏む音がかすかにするだけで、 あとは広大な空間を絶対の静寂が支配している。
この上なく美しくも孤独な風景。
これは、ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画「シェルタリング・スカイ」(1990年)のワンシーンだ。
この映画の原作を書いたのは、アメリカ人の放浪の作家ポール・ボウルズ(1910-1999)である。彼は晩年をモロッコ北部のジブラルタル海峡に面した港町タンジェ(英語名タンジール)で過ごした。
モロッコの街で魅力的なのは、メディナと呼ばれる旧市街である。そこでは、人ひとりがやっとすれ違うことができるだけの塀と塀にはさまれた狭い路地が、迷路のように右に左にと続く。通りは突然モスクの前の広場に出たかと思うと、またいくつもの細い通りに分岐していく。
コフルで黒く縁取りされた蠱惑的な瞳だけを出し、全身を慎ましく一枚の布で覆った女性の後を追ったとしても、あなたはいくつかの細い路地を曲がった後、まるで彼女が煙になって消えてしまったかのようにその姿を見失うだろう。
ただ茫然と立ちつくすあなたのそばをロバにレンガを積んだ職人が悪態をつきながら通り過ぎ、頭の上の丸い盆に積み重ねた焼きたてのパンを積んだ少年が足早に去って行くだろう。
揚げ物の油の匂いと市場のスパイスの匂い、皮をなめす強烈な刺激臭、人々の体臭、生ゴミの臭い、動物の臭い、商店に並ぶ布地のカラフルな色彩、カセットテープを売る店から流れるアラビア語の歌声、赤ん坊の泣き声、水パイプをくゆらせながらくつろいでいる民族衣装のジュラバの男たちの話し声、あらゆる香りと色と音が一斉にあなたに襲いかかる。
そして、あなたは時を超えた迷宮の旅人になる・・・・・
昭和の香り 向田邦子 ― 2019年02月27日 00:34
今は亡き向田邦子さん(1929-1981)は、脚本家として、あるいは原作者としていくつもの素晴らしいテレビドラマの作品を残した。それらのいくつかの作品は向田邦子新春シリーズとして、1985年から2001年までの17年間、年が変わってまもない1月に放送され、その日を心待ちにしていたものだった。
ドラマの一つは昭和10年代の半ば、池上本門寺近くに暮す未亡人の母と三姉妹の物語だ。離縁して戻ってきた長女と重い心臓の病を患って家で静養している次女とお茶の水の女学校に通う末っ子の三女だ。そして、その女所帯に知人の娘の恋人だという得体の知れない男が居候として加わる。ドラマの中には晴れ着を着て神棚に手を合わせて家族みんなでお節料理を味わう平和なお正月風景が出てくるが、時代はやがて大きな戦争へと近づいていくどこか暗い影がしのびよるような社会の不安定な時期である。そういった時代背景の中で、思春期の末っ子の少女から見た身近な大人たちの世界が何気ない語り口で回想的に描かれている。
原作者の向田邦子さんと縁の深かったという黒柳徹子さんの語りと小林亜星さんのほのぼのとした音楽が耳に心地よい。
これらの向田邦子さん原作の貴重なテレビドラマが、この1月から3月にかけてテレビのBS放送で再放送されていることを知って、楽しんでいる。最初に作品を見た頃からずいぶん長い時間がたち、私自身の年齢も環境も変化した。はたして同じドラマを当時のように楽しめるだろうかと少しドキドキしながら録画した作品を見たが、いつの間にかすっかりドラマに引き込まれて見入ってしまった。ドラマの舞台になっている戦前の時代を実際に知っているわけではないけれど、それは私自身の記憶にある昭和の時代にも結びつくものであり、遠い日の記憶を懐かしく思い出させてくれる素晴らしい作品である。
*写真は昭和時代に撮影したものですが、向田邦子さんの作品とは直接関係ありません。
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