トスカーナの青い空22021年02月11日 10:11

    
ポンテ・ヴェッキオとヴァザーリの回廊

 庭園を出て坂道を右手に下ると、両側に昔ながらの貴金属店がぎっしり並んだ古い橋ポンテ・ヴェッキオに出る。ウインドウの中でイリスの花をかたどったフィレンツェ市の紋章を細工した繊細な金のブレスレットが光っている。ウインドウの下の部分には、中世の頃を思わせる鎧戸がわりの鉄の鋲を打ち込んだ厚い木の板がぶらさがっている。

    

イリスをかたどったフィレンツェの紋章

 

 

 

 ふと橋を渡る人混みの方に目をやると、メディチ家礼拝堂で見たミケランジェロの造ったロレンツォの像によく似た鼻筋の通った若者と一瞬目があった。私は、急いで後を追った。しかし、たちまち人の波に飲まれてしまった。石畳の細い路地を盲滅法歩いて行くうちに旧市庁舎ヴェッキオ宮のあるシニョリーア広場に出た。

 

ヴェッキオ宮

  

 この広場はフィレンツェの長い激動の歴史を黙って見守ってきた。ヴェッキオ宮はルネッサンス時代の代表的建築物で、1階には窓はなく、厚い石の壁はまるで要塞のようである。上部は歩廊が大きく外に張り出し、その下には紋章がはめ込まれている。メディチ家の全盛時代を築いた老コジモ(13891464)が生きていた頃のフィレンツェはその名のとおり華やかで、町は潤い、数々の建築物が建てられ、教会のフレスコ画をはじめ美しい絵が次々と描かれた。

ウフィツィ美術館 回廊の天井画

 

 老コジモの息子ピエロ(14161469)は病気がちで、「通風病みのピエロ」とも呼ばれていたようだが、その時代は短かった。その次の老コジモの孫に当たるロレンツォ(14491492)の時代になると、フランスやオランダなどヨーロッパに手広く店を出していたメディチ銀行が多額の負債を出し、次々と店じまいに追いこまれた。また、法王との関係、ミラノ公国との関係など不安の材料はつきなかった。そんな中でも、フィレンツェの町の人々は美しいものを求め、工房は賑わい、フィリッポ・リッピ、サンドロ・ボッティチェルリなど後世に残るすばらしい芸術家を生み出した。彼らの絵画を納めたウフィッツィ美術館は時を超えた宝石箱である。

  
上部はヴェッキオ宮と対岸のピッティ宮を結ぶヴァザーリの回廊