アルハンブラの想い出 グラナダ ― 2019年01月09日 23:47
まだ白い雪をかぶったシエラネバダの山並みが遠くに見える。
赤茶けた小高い丘の上に建つアルハンブラ宮殿の中庭のライオンの噴水から冷たい雪解け水がこぼれている。アルハンブラとは、アラビア語で「赤い城塞」という意味であるが、その名のとおり赤褐色の堅固な城壁に囲まれた城塞である。外側のむき出しの石の殺風景なイメージと違い、内部は繊細な装飾が床から天井まで続き、それは息をのむほど美しい。中庭の回廊に立っているアーチ型の柱、アラベスク模様やアラビア文字で壁面を飾る色とりどりの美しいタイル、蜂の巣のような無数の窪みをもった大理石の天井。すべてがイスラムのモーロ人の王が暮らしていた頃を彷彿とさせる。
当時、王は多くの後宮の女たちを前にして、アラヤネスの中庭の池に一つの熟れたリンゴを投げ、それを最初に手にした者をその夜の夜伽の相手としたという。ふっくらとした白い腕やよく引き締まった褐色の背が水を切って泳ぐ音や笑い声が今にも聞こえてきそうだ。泉は今日も澄んだ水を満々とたたえて明るい午後の日差しにキラキラと輝いている。鏡のようになった水面にその影を落としている石造りの方形のコマレスの塔には、囚われた王女が幽閉されていた。塔の窓から見える景色は、宮殿の中庭とシエラネバダに続く深い寂しげな森だけだ。
今は観光客で賑わっているこのアルハンブラも、1829年に外交官であったワシントン・アービングが友人と二人でセビリアから
はるばる馬でやって来た頃は、訪れる人もなく、宮殿も手入れされることなく荒れ果てて、天井には蜘蛛の巣がはっていたという。アービングの本によると、その辺りには山賊も横行していたらしい。当時、罪人や王の怒りをかって死んだ人々は、明け方に
小径を通ってヘネラリーフェ庭園に行くと、アンダルシア風の
日が落ちると昼間の眩しいほどの日差しが嘘のようにひんやりとして、頬にふれる空気が心地よい。見上げると、澄み渡った夜空に満点の星がきらめいていた。丘を歩いて下って行く途中で、通りがかった家の庭からタレルガの「アルハンブラの想い出」のメロディが流れてきた。町の灯りが近づくにつれ、ギターのトレモロの音が次第に遠ざかっていった。
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