ショパンの故郷 ポーランド2019年02月01日 21:56


ショパンの生家

 上部が半円形になった両開きの白い格子のガラス窓が緑あふれる庭に向かって開け放たれ、白いレースのカーテンが風に揺れている。

ショパンの生家と庭園

 窓の内側からは、ショパンの繊細で華麗なピアノの調べが流れてくる。マズルカやポロネーズなどポーランドの民族舞踊のリズムを取り入れた調べは、少し跳ねるような、揺れるような独特な響きをもっている。それは時に激しく力強く、また時には軽快にコケティッシュに聴く者の胸に響く。夢見るようなノクターン。左手の低音のうねるような音の流れが、抑制しても抑えきれない心の奥底から燃え上がる内面の激しさを表しているかのような革命のエチュード。シンプルな美しいフレーズが、何度も変奏されていくうちに次第に複雑で重層的な壮大な終章につながるバラード第4番。

 そこは、ポーランドのワルシャワから約54キロ西にある作曲家フレデリック・ショパン(1810-1849)の生まれたジェラゾヴァ・ヴォーラのショパンの生家である。夏の間は、定期的に演奏会が開かれている。

ショパンの生家 居間

 壁には、ショパンと彼の両親の肖像画が飾られている。

 公共交通機関を利用して行こうと思うと、ワルシャワから一日に数本しかない列車とバスを乗り継いで行くしかなく交通の便がいいとは言い難いが、その分かえって今も美しい田園の景色が保たれている。真夏でも大きな並木の列が緑の木陰を作り、爽やかなそよ風が頬をなで、見上げれば澄んだやわらかい青空が大地をやさしく包み込んでいる。並木の向こうには、牧草地の明るい萌黄色の大地が絨毯のように緩やかな起伏を作って広がっている。

聖十字架教会

 ショパンは20歳で祖国ポーランドを離れて、39歳でフランスのパリで亡くなり、パリの東部にあるペール・ラシェーズ墓地に埋葬されているが、彼の遺言によりその心臓だけは姉のルドヴィカによって密かにワルシャワに持ち帰られ、今もワルシャワの聖十字架教会に眠っている。

ワルシャワのショパン博物館

  

 ワルシャワにあるショパン博物館では、ショパンの生涯を時代を追って知ることができ、ショパンの曲を視聴できるコーナー等もある。


聖女の横顔 舟越保武2019年02月05日 19:14

 にわかに厚い灰色の雲に覆われた空から、突然遠くの雷鳴とともに激しい雨が降り出す。
古い石造りの教会の回廊に囲まれた中庭にも、雨が周囲の音をかき消して大地をたたきつけるように降りしぶく。
 雨でなかば白く霞んだ中庭の向こうの回廊に、一人の若い修道女が中庭に顔を向けて静かに立ち尽くしている。顔のふちをぴったりと覆った白いヴェールと、その上にゆったりとかけられている黒い布の下にのぞくその横顔は清楚で優雅な美しさをたたえている。額からすらりとした鼻、やさしい口元、くっきりとした顎のライン、くぼんだ目元、気品のある美しい顔立ちなのに、表情の少ない顔は、瞳の奥に悲しみを宿しているようにも見える。
 突然の驟雨はまた唐突に上がり、回廊の上の夏の午後の青い空には七色の虹がかかった。そこには、修道女の姿はもうなかった。あたりには中庭の緑の梢の先から滴る水の音だけが聞こえていた。

 以前たまたま耳にしたラジオの朗読番組の中で、とても強く印象に残った作品がある。番組の中では、舟越保武著の「巨岩と花びら」よりと紹介された。後日、書籍を購入して読んだが、ページにすると3ページほどのエッセイである。著者の舟越保武(1912-2002)氏は著名な彫刻家(私が朗読を聞いた数十年前にはその事を知らなかったのですが)であり、それを知ってみると、女性の横顔をあたかも彫像に触れるかのように、その輪郭を美しく表現しているのがうなずける。今でもその美しい情景が目の前に浮かぶような素敵な朗読番組だった。

* 上記の文章は舟越氏の著作の引用ではなく、その朗読番組から受けた私自身のイメージです。
** 写真は、舟越保武氏の作品。釧路市の中心にある幣舞橋の欄干の上に飾られている「四季の像」のうちの春の像。エッセイの内容とは直接関係ありません。

ムーミンパパ海へいく ~ソーダーシャル島~2019年02月11日 16:42

 白亜の大聖堂を背中に、ヘルシンキの港からフィンランド湾を出て、いくつかの小島の横を通り抜けて、小さな客船は水平線を目指してゆっくりゆっくりと進む。

 やがて、遥か前方に、海の中から突き出た煙突のように灯台のある島が見えてくる。もう間もなく到着するのだろうと思ったが、いっこうにその気配がない。海上では視界を遮るものがないので、かなり遠くの物でも目にすることができるが、実際には想像以上に距離があるものなのだ。ミニチュアの模型のような遠くの灯台にじっと目をこらして、船が近づくのをひたすら待つ。

 少しずつズームアップされて、ついに灰色の岩だらけの平べったい小さな島とそこにスクッとそびえるベージュ色の灯台が目の前に現れる。

 

 そこは、スウェーデン語系フィンランド人のトーベ・マリカ・ヤンソン(1914-2001)氏が書いた小説「ムーミンパパ海へいく」のモデルになった島と言われているフィンランドのソーダーシャル島である。小説の中では、快適なムーミン谷の生活の中にもはや自分のやるべき事を見出せなくなったムーミンパパの発案で、ムーミン一家は灯台以外何もない島での生活を始めることになる。鍵がかかって灯りの消えた灯台と謎の漁師がこの小さな岩だらけの島のすべてだ。

 

 

 

 ムーミンパパは大自然を前に若いころの冒険心を取り戻し、大切な家族を守るために自分のやるべきたくさんのことを再び見出し、流木でベッドを作ったり、魚釣りに行ったり、時には海について哲学的に考えたり、満ち足りた時間を過ごしている。

 息子のムーミントロールは、月明かりの下の夜の浜辺の美しさに魅了されたり、独りで島を探検してしげみの中に自分だけのスペースを作ったり、海と風と自然が織りなす恵みと美しさと驚異の中で、それらを愛おしく思いながら成長していく。

 一見自由勝手で我が儘のようにも見える独立心旺盛な養女のちびのミイ。でも、ミイの辛辣なセリフの多くは、表立って口にはしないものの心の奥の真実の声だ。

 

 そして、これら一家をいつも優しく寛大な気持ちで見守り、カンテラのように家族の心を明るく灯してくれるムーミンママ。

 

 ソーダーシャル島は、すぐに1周できてしまうほど本当に小さい。小説のように、薪木がきれいに丸く積み上げられている。ヒースのピンクの花が海風に揺れている。

 灯台は、現在は灯台としての役目は終わり、自由に内部を見学することができる。木製の狭い螺旋階段が上へ上へと続いている。途中、昔の島の風景を写した白黒写真やヤンソン氏のイラストが飾られ、ムーミンパパが葉巻を加えながら座りそうな木製のユリ椅子が置かれている。

 窓からは、夏の青い空と海が水平線の彼方まで見渡せる。最高の眺めだ。

しかし、いつも穏やかな青空ばかりとは限らない。海の荒れ狂う嵐の日、あるいは冬の長いこの地方で、昼でも日差しのとぼしい毎日を、決して広いとは言えないこの灯台の中で、来る日も来る日も小さな窓の外に吹きすさぶ風の音を聞きながら厳寒の中で過ごした灯台守たちの生活はさぞや厳しかっただろう。




天の河地の河 パキスタン 12019年02月17日 12:54

 夕暮れ時のバザールは、人であふれている。道路ぎわに並べた木の板の上に野菜や果物を並べて売っている。ピラミッドのようにきれいな四角錐に積み上げたオレンジ。黒ずんだ小ぶりのバナナ。ちょっと太めのきゅうりのようなズッキーニ。足下では、籠に入れられた鶏がバタバタと音をたてている。皮をむいたサトウキビを専用の特殊なナイフをクルッと回しながら手際よく一口大に切っていく男。道ばたに座り込んで物乞いをする老人。荷車をつけたロバ。埃っぽいでこぼこの道。
 通りは、商人も客もみな民族衣装のシャルワールに立派な髭をたくわえた男たちでいっぱいだ。女性の姿はほとんど見かけない。まれに見かける女性は夫らしき男性に伴われてシャルワールに大きなストールで頭を覆っている。パターン人の女性は、膝まで隠れるくらいの細かい襞のたっぷりある布をスッポリと頭からかぶって顔の前面も覆っている。よく見ると、かろうじて目のあたりだけ網の目状になっていて、中からは見えるようになっている。
 バザールの店は通りごとに同じ品物を扱ってる店が軒を並べている。たとえば、アルミのバケツやナベ、ヤカンなどを所狭しと並べた金物屋街、万華鏡を覗いているような錯覚におそわれるカラフルな布の反物を並べた生地屋さん、そして、その隣では、美しいシルクの布やアイベックスの毛のストールに囲まれて店の主人が絨毯の上にあぐらをかいてくつろいで、通りを行く人々を眺めている。皮の鞄や靴が並ぶ通りにはなめした皮の匂いが漂い、赤や黄のスパイスのパウダーが麻袋に形よく積み上げられた辺りでは様々な香辛料が混じり合って強烈な香りを放っている。店の入口はだいたい2~3メートルぐらいとどこも狭いが、奥行きのある造りになっていることが多い。

 店と店の間の影になった細い路地は、好奇心旺盛な異邦人の旅心を誘う。人ひとりがやっと通れるくらいの黒ずんだ石の壁にはさまれた足場の悪い道を進む。突き当たりを右に曲がると、そのまま真っすぐ行く道と、左手にアーチの下をくぐってカーブしている道がある。深く考えず、足の向くままに薄暗いアーチの下を歩く。前方からスパイスと焼いた肉の匂いが漂ってくる。近づくにしたがって、人声とざわめきが伝わってくる。どこから現れたのか、いつのまにかやんちゃそうな5歳ぐらいの男の子二人が後ろについてきていた。通りの奥に煙が見えたと思ったら、そこで肉を焼いていた。日本の焼き鳥を大きくしたようなもので、太くて長い金属製の串に羊の肉の塊がさしてある。おいしそうな匂いだ。その隣の店では、コロッケのような揚げ物を作っている。店のおやじが笑顔と身振りで一つ食べてみないかとすすめる。 (つづく)

天の河地の河 パキスタン 22019年02月18日 20:37

 サイドシャリフから東のベシャムヘぬける道は、途中、2,120m のシャングラ峠を越え、舗装されてはいるが、カーブの多い険しい山道だ。狭い道だが、けっこうとすれちがう車もある。おおかたは木材などの荷物を満載したトラックか乗り合いバスである。見通しの悪いカーブにさしかかると、この国独特のおそろしく派手なクラクションを鳴らす。日本のように単一の音ではなく、いろいろなバリエーションがある。どのように使い分けているのかわからないが、「ドレミファソファミレドレミファソラシドー♪」とか、「ドレミドレミ♪」とか音の高低があり、メロディーになっている。狭い道にも係わらず、大きな車どうしが器用にすれちがう。道の片側は高い岩の壁がつづき、反対側はまるで井戸の底を覗いているような感覚におそわれる深い谷底になっていることが多い。谷底にはくすんだ色のインダス川が流れている。対岸には緑の急な斜面の所々に段々畑と白い木造の家が見える。道らしきものは見あたらないのに、いったいどうやって行き来しているのだろう。それどころか、どうやってあんな所に家を建てたのだろう・・・と思うと同時に、自然の厳しさをものともせず生活している人々に心底感心してしまう。 (つづく)