天の河地の河 パキスタン 32019年02月19日 22:10

 少年は、隣近所もない深い山の中に祖父と二人で山羊を追い、急な斜面を段々に切り開いた狭い畑地を耕して暮らしていた。少年が生まれたのは、もっと南の人々やロバが行き交うにぎやかな都会の町だった。少年の母は胸を患い、5歳の息子を残してこの世を去ってしまった。父親は妻の葬儀が済むと、幼い子供を人里離れた山の中で仙人のような暮らしをしている彼の父親にあずけて、稼ぎのよい石油のとれる国に出稼ぎに行ってしまった。

 十歳の少年にとって、共に暮らしている祖父は、父であり母であり、十頭の山羊は兄弟でもあり、仲のよい友達でもある。実の母の記憶はあまりにも薄く、きれいで優しくて、胸に抱かれるとよい香りがしたというような漠然とした記憶しかない。でも、ひそかに母と一緒に写っているセピア色の写真を宝箱の一番下に入れて大事にしまってある。褐色の肌に大きな丸い目をした優しそうな女性の膝に同じ目をした小さな男の子がちょこんと座っている。たびたび出したり仕舞ったりしているので、写真は角が折れてすっかり汚れてしまっている。
 少年が何よりも大切にしている木製の宝箱は、その蓋の部分に白蝶貝などで細かいアラベスク模様の象眼がほどこされていて、日の光にあたるとキラキラと輝いた。その美しい木の箱は、彼の父が遠い国から友人の手を通して贈ってくれたものだ。少年はその中に、山羊の抜けた歯や木の実や形のよい石などと一緒に母の写真を大切に仕舞った。

 時々、空が真っ青に晴れ上がって気持ちのよい日など、山羊の放牧に出るとき、宝物を入れた小箱をマントのポケットに入れて外に出た。大きな樹の下に座って、そっと小箱を開ける。早く一番下の写真を取り出したい気持ちを抑えて目を上げる。向かい側の濃い緑色の樹の茂った山のふちに帯のように細い道が走っている。さらに視線を上げると、山と山の間の奥の方に万年雪を抱いた山がそびえている。頂上は雲の中に隠れている。ずっと見ていると、時折雲が風に流されて、その鋭い頂を現す瞬間がある。同じ山が時間や天候によってまったく異なった姿に見えることを少年は知っている。 (つづく)

天の河地の河 パキスタン 42019年02月22日 22:03

 夜明けの最初の一条が暗闇の世界に光を投げかけて、徐々にそれが広がっていくとき、山は低い位置からライトアップされて、自然の生みなす崇高な光と影のショーを演ずる。日中、日が高く昇ると、山はもはや光の陰影を失い、平面的な二次元の世界の中で動きを止める。夕方、西の空に日が傾き始めると、再び山々は生き生きと蘇る。雪の上に光のあたった部分は薄桃色に色づく。
 少年はそのピーチ色に染まった雪山を見ながら、昔会った少女の上気した頬にそっくりだと思った。それはまだ優しい母がいて、南のにぎやかな町に住んでいた頃のことだった。白い半袖のワンピースを着た金色の髪の少女が、風に飛ばされた麦藁帽子を追いかけて走ってきた。少年が帽子を拾って目を上げると、色白の陶器のような肌が走ってきたせいで薄くピンクに染まったお人形さんのように愛らしい顔の青い瞳と目があった。少女は笑顔で「サンキュー」と言うと、帽子を渡してくれるように右手を差し出した。笑うとえくぼができた。少年は恥ずかしかったので、怒ったような顔をして無言で、ただ帽子をもった右手を前に差し出した。少年は山に来てから、雪山が夕焼けに色づくのを見るたびに名前も知らないあの少女のことを思い出した。 (つづく)

天の河地の河 パキスタン 52019年02月23日 16:16

 いつのまにか樹の幹によりかかって眠ってしまった少年は、山羊に顔をなめられて目を覚ました。辺りはすっかり薄暗くなっていて、冷たい風が吹いている。くしゃみを一つして立ち上がると、慌てて山羊を集めて家路についた。
 「ただいま」
 暗い家の中は、何の物音もしない。
 「おじいちゃん!」
 声をかけながら部屋の中に入る。少年の祖父が下を向いて絨毯の上に座っている。チャイ(紅茶)のコップが横に倒れて、赤いアラベスク模様の絨毯の上に黒い染みをつくっている。
 「ねえ、おじいちゃん」
 もう一度声をかけながら肩に手を触れると、そのまま斜め前に倒れてしまった。まるで静かに眠っているような安らかな死に顔だった。
 少年は泣きながら外に出て、夜空を見上げた。山の澄み渡った空に満点の星が輝いている。天にも河が流れていて、天にも人や動物がいることを教えてくれたのも祖父だった。天の河が雪山の向こうに流れこんで、それが地の河につながっているのだと。死んだ人は地の河をさかのぼって天の河にたどりつくと・・・そして、心の中で呼べば、いつでも会うことができるのだと・・・しかし、今は、少年は知っていた。二度と祖父の自分を呼ぶ声を聞けないと。祖父がたくましい胸に自分を抱きしめて、ふしくれだった手で背中を撫でてくれることは二度とないと。もう髯もじゃの頬で、頬ずりをしてくれないと・・・
 涙で潤んだ瞳に天の河はぼやけてゆがんでしまった。眼下では、地の河が静かな水音をたてながら夜の闇へと流れこんでいた。 (終わり)

昭和の香り 向田邦子2019年02月27日 00:34

 障子に卓袱台、畳のある部屋に縁側のある木造の一戸建ての家。石の門柱と庭の植込み、細い格子の入った引き戸の玄関。ちょっと懐かしい昭和の風景である。お正月三が日ともなれば、どこの家も正月飾りをつけ、ほとんどの商店は店を閉め、真冬のピンと張りつめた冷たい空気の中で、何かいつもと違う特別な時間が流れている。
 今は亡き向田邦子さん(1929-1981)は、脚本家として、あるいは原作者としていくつもの素晴らしいテレビドラマの作品を残した。それらのいくつかの作品は向田邦子新春シリーズとして、1985年から2001年までの17年間、年が変わってまもない1月に放送され、その日を心待ちにしていたものだった。
 ドラマの一つは昭和10年代の半ば、池上本門寺近くに暮す未亡人の母と三姉妹の物語だ。離縁して戻ってきた長女と重い心臓の病を患って家で静養している次女とお茶の水の女学校に通う末っ子の三女だ。そして、その女所帯に知人の娘の恋人だという得体の知れない男が居候として加わる。ドラマの中には晴れ着を着て神棚に手を合わせて家族みんなでお節料理を味わう平和なお正月風景が出てくるが、時代はやがて大きな戦争へと近づいていくどこか暗い影がしのびよるような社会の不安定な時期である。そういった時代背景の中で、思春期の末っ子の少女から見た身近な大人たちの世界が何気ない語り口で回想的に描かれている。
 原作者の向田邦子さんと縁の深かったという黒柳徹子さんの語りと小林亜星さんのほのぼのとした音楽が耳に心地よい。
 これらの向田邦子さん原作の貴重なテレビドラマが、この1月から3月にかけてテレビのBS放送で再放送されていることを知って、楽しんでいる。最初に作品を見た頃からずいぶん長い時間がたち、私自身の年齢も環境も変化した。はたして同じドラマを当時のように楽しめるだろうかと少しドキドキしながら録画した作品を見たが、いつの間にかすっかりドラマに引き込まれて見入ってしまった。ドラマの舞台になっている戦前の時代を実際に知っているわけではないけれど、それは私自身の記憶にある昭和の時代にも結びつくものであり、遠い日の記憶を懐かしく思い出させてくれる素晴らしい作品である。

*写真は昭和時代に撮影したものですが、向田邦子さんの作品とは直接関係ありません。